エッセー

芸術は“自慰”である。

2020年3月24日

・これはTAKUMIの自説です。

芸術は自慰である。
端的に言えば、芸術はオナニーです。

だから、芸術はテレビでは、放送されてませんね。

“芸術”というものには、絶対的な定義は存在しませんが、一般的な定義は存在します。
しかし私の定義では、もう自慰です。オナニーです。

そもそも、自身の中にある、感情やわだかまりを、どうにかこうにか形にしたものです。

共感?理解?
ちゃんちゃらおかしい。

そりゃあ、感情を形にした段階で、多少なりとも人間の共通感覚が現れてしまいます。
そうだとしても、それが理解された時点で、それはもう、芸術ではありません。

美しい表現の術として、美術があり、それが音を媒介として楽しむのなら、音楽になります。
それは決して、芸術にはなりえません。

元々の性質が大きく違います。

美術や音楽は、利益を得られなければいけません。
お金であれ、名声であれ、何かしらの対価を求めています。
有名にならなければいけません。評価されなければいけません。
その為に、共感を求め、理解を求め、自分なんてものを無視したものが生まれます。

芸術はそんなものを無視して、自分を表現します。
自分自身ですら理解が出来ない、自分というわだかまりを表現します。

芸術における意義は、影響です。
それが非難されようが、気持ち悪かろうが、なんであろうが、誰かに何かに、少しでも影響を与える。
それが、芸術の意義であり、使命であります。

結局は自己満足になります。

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