エッセー

“いじめ”はありません。

2020年2月28日

それは、犯罪です。

それが私の解釈です。

私の好きな、ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェ氏の言葉を引用させていただくなら

『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである』

私達が、見たり聞いたり感じたものは、すべては解釈に過ぎません。
隣にいるあなたと、同じものを見て聞いて感じても、私とあなたは、同じにはなりません。

それは、私やあなたの、価値観、これまでの人生で培った、経験 知識という名の、主観 偏見 固定観念 先入観であり、全く違う受け取り方をします。

いかなる事柄であろうと、それは変わりません。
特にインターネットにおいては、それを顕著に感じます。


本題の通り、いじめは存在しません。
それが私の解釈です。

それは、傷害であり、脅迫であり、侮辱であり、その他もろもろの犯罪であると......。

“いじめ”なんて言葉で片づけていい事ではありません。

しかしこれは、あくまでも私の解釈です。
“いじめ”“子どものけんか”“いたずら”“かまってあげた”という解釈があるもまた......然り。

あなたがいかなる解釈をしようとも、私はそれを、肯定も否定もしません。できません。
受け入れるか、無視するか、取り入れるか。
それしかできません。

しかし、もしこれらの言葉を、無意識的に使っていたのなら、今一度、考えていただきたい。
その行為が、いかなるものであったのかを。


私はこの記事で、いわゆる“言葉狩り”をしたいわけではありません。
解釈の違い、つまりは、価値観の違いが、ひとつの事象から多数の考えを生みます。
そしてそれが、さらに多くの言葉で、表現されます。
それはとても素晴らしい事です。
それはあなただけのものです。
ゆえに、親密になったり、対立したり、非難や無視、共感や称賛が起こります。

私は、この記事を通し、自身の考えを発信したかった。
例え、何を非難されようと、一人にでも、何かしらの変化を与えられたなら、それで十分です。

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