エッセー

資本主義国家において、稼がないは罪であり、稼がせないは犯罪だ。

日本は資本主義国家だ。
かつては、世界で最も成功した社会主義国家とも称されたが、今も昔も資本主義国家だ。
確かに、新卒者は大概が同じ給与だし、会社によっては家族手当という、能力ではなく家族形態によって支払われる手当もあるし、医療費は3割で良いし、その他いろいろある、
社会主義が嫌になって日本に来たら、日本の完璧な社会主義に感動したという話もある。

だが日本は資本主義である。
それは否定のしようが無い。
ならば資本主義の日本において、稼がないは罪だ。

日本ではある程度の福祉があるが、それは税収入により賄われている。
では日本の税収の内訳を見ると、最も多いは所得税である(約20兆円)。
塁審課税制度を採用している為、所得が多ければ多い程、納税額は跳ね上がる。
また、所得に比例して、住民税も増える。
収入があれば、消費も増える為、消費税も増すだろう。

結論を言えば、日本を支えているのは、納税者だ。
納税している人は、総じて稼いでる人だ。
多額の納税者は、もっと称賛されるべきで存在である。
彼ら彼女らが、納税しているからこそ、医療費は3割で済み、公立学校の授業料は無料だし、社会保障が充実している訳である。
多くの人は、感謝を求めるわけではないが、支えられているという認識をするべきではある。

これらが稼がない罪であると言える理由である。
余談だが、稼いでいれば良いのである、別に働く必要はない。

稼がないは罪である。
これには一つ問題がある。
働いても稼げない。というものだ。
働きもせず稼ぎが無いなら論外だが(誤解せずにいただきたいが、働く意思があるにも関わらず、働けないを言っている訳ではない。論外と言うのは、働く意思もなく稼ぎも無い事を言っている)、多くの方が、働いても稼げないというのが、現状である。

だからこそ、稼がせないは犯罪であると、断言しなければいけない。
日本の会社は、賃金が一律というのが多くみらる。
最近では変わりつつあるようだが、年功序列賃金や終身雇用の考え方が未だに根強い。
この考え方は社会主義的な発想であるが、倍の仕事をしたとしても賃金が一緒と言うのは納得がいかないし、その余剰分は経営者に回るのだろう。
社会主義的な発想ではあるものの、資本主義の悪い点でもある。

本来、会社と労働者の正しい関係は、対価である。
労働力に対しての対価が、賃金である。
だが現在はこの対価というのが、中小企業の多くで、全くと言っていいほど機能していない。
この対価を無視した、いわゆる稼がせないというのは、もはや犯罪に匹敵するのではないかと提唱したい。

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